明治44年〜昭和初期の店舗
創業は明治24年

 株式会社水本園の歴史は、明治24年創業の「水本園茶舗」に遡ります。創業者は田中吉蔵、もともと埼玉県川越市近郊の出身で、狭山茶の栽培農家を営みながら近郊の茶を集めて近県への行商を行っていました。たまたま群馬県前橋市へ行商に来たとき、当時糸の街として発展しつつあった前橋の将来性に着目した吉蔵は、ここに日本茶の小売店を出そうと決心したのです。
 さっそく準備を進めた吉蔵は、明治24年8月、とうとう市内堅町に「水本園茶舗」の創業を実現しました。屋号の「水本園」は、吉蔵の出身地・川越の水本からとったものだと言います。


現在の千代田町に移転

 初代吉蔵はなかなかの商売上手でした。その後、茶の産地とのつながりも深かったことから、安く仕入れた茶を薄利で売ってどんどんと顧客を増やしていきました。さらに宣伝にも力を入れ、店の歌を自作して料理屋などで歌ったり、当時としては珍しかった新聞広告も積極的に活用したようです。さらに1月2日の初売りの日には、買い上げ客に景品としてきゅうすを付けるなど、独特のサービスも考え出しました。その初売りサービスは水本園の伝統として受け継がれ、現在では数千個のきゅうすが用意されるという盛況です。

昭和初期の店舗
 
 これらの努力が実って、創業後10年足らずの間に市内のトップクラスの茶舗として成長し、吉蔵は前橋茶業組合の組合長に推されてその座に就くことになりました。商売の発展に伴って、明治44年には堅町から中心繁華街の現店舗のある桑町(現千代田町二丁目)に移転します。
     昭和7年頃             昭和7年頃
 前橋共進会パレードに参加      初売りの活況

二代目吉蔵から愛三の時代へ

 その後富次朗が二代目吉蔵を襲名、現在の千代田町二丁目で、水本園茶舗は地域一番店として揺るぎない実績を積み重ねていきます。二代目吉蔵は、昭和20年に病没するまで、第二次世界大戦中も一番店としての実績を守り、その後息子の愛三が三代目として跡を継ぎます。この愛三の時代にさらに店の業績は進展し、三代目に就いてから間もなく昭和23年には「水本園茶舗」を「有限会社水本園」とし、店を法人化して社長に就任しました。
 続いて好調な業績から、愛三は昭和48年8月には「株式会社水本園」に改組、昭和57年には現在地に鉄筋平屋建て165平方mの近代的店舗を新築しました。新店舗は、茶箱や茶壺を並べたそれまでの茶舗の常識からみると茶舗らしくないもので、お客様が入りやすく、見やすく、選びやすい茶店であり、販売効率も高められる近代的な店舗構成となっていました。
 

昭和20〜30年頃の店舗
     店頭の賑わい
受け継がれる伝統と努力

 愛三はお茶栽培産地出身である初代吉蔵以来の伝統を生かして、産地の新しい流れを常に研究し続けました。やぶきた茶や深蒸茶(ふかむしちゃ)の流行も敏感に採り入れ、結果、水本園で扱うお茶の種類は40種、贈答品組み合わせサンプル200種という多さとなりました。絶えず商品開発と時代の嗜好を研究し続けてきたその努力は、お茶の専門店として県内随一、北関東でもトップクラスという地位を揺るぎないものにしています。
 また、商品開発の一方でお茶の品質管理にも力を入れてきました。お茶の保存に関する温度管理、真空パックを使った鮮度維持もいち早く導入、パックした見本の展示コーナーに相対し商品の陳列冷蔵庫が商品別に区分されており、その冷蔵庫もショーケースを兼ねたスマートなものです。こうして業績を重ねてきた水本園三代目の愛三は昭和59年8月に会長に退き、長男の光一(前代表取締役社長)が四代目として社長に就任します。
 日本の歴史と文化に育まれて、愛され続けてきたお茶…。私ども水本園は、創業者をはじめとするたゆまない努力とお客様本位の心を忘れず、伝統を生かしながら常に新生面を切り拓いていくという先人たちの精神をいつまでも大切にしたいと考えています。




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